明治時代 染料の不足
久留米絣が西南の役の内戦で一躍その販路を拡げたため、染料の不足を生じます。四国より阿波藍を取り入れてこの不足を補いましたが、この阿波藍の上質さは地藍を圧倒し、逐次地藍を駆逐し、阿波藍の生産された大半が、久留米へ流れ、地藍では殆ど久留米絣を作られないようになりました。
久留米絣が西南の役の内戦で一躍その販路を拡げたため、染料の不足を生じます。四国より阿波藍を取り入れてこの不足を補いましたが、この阿波藍の上質さは地藍を圧倒し、逐次地藍を駆逐し、阿波藍の生産された大半が、久留米へ流れ、地藍では殆ど久留米絣を作られないようになりました。