久留米藩の産業

藍は久留米藩にとって、代々、貴重な染料でした。

百姓一揆の際、久留米藩は触書を出して、紺を出す藍、赤を染める紅花は他国へ出すことを禁じました。

藍は、久留米絣よりも古い歴史を持ち、且つ、重要視されていた事実がうかがえます。

このように久留米藩の保護を受けた藍は、染色を専門とする紺屋が生まれてきたことも久留米藩主有馬氏の思索と地域性のしからしめたためです。